三善清行邸跡(みよしきよゆきていあと)
所在地:
京都市下京区醒ヶ井通松原下ル東側篠屋町(醒泉小学校内)
地図情報
三善清行邸跡(みよしきよゆきていあと)は、平安時代初期の漢学者・政治家 三善清行の屋敷があったといわれるところ
三善清行は、下級貴族の子から学問に励み、文章博士となり、参議・宮内卿と異例の出世をはたした
「意見封事十二箇条」を申し出たり、菅原道真の左遷にも影響を与えたといわれる
化け物が出ると噂されていた古い寝殿造の家を買って移り住み、化け物の出没にも動じずそれを追い払ったといわれる
醒泉小学校の敷地内に、その邸宅跡の石碑が立つ
【三善清行の歴史・経緯】
三善清行は、一度、官吏の登用試験に落ち、この時の試験官が
菅原道真だったことで、後にことあるごとに対立する
900年(皇紀1560)昌泰3年10月11日
藤原時平と対立し朝廷内で孤立していた右大臣
菅原道真に対し、書簡を出し辞職勧告をする
菅原道真は、長年の確執からこれを退ける
901年(皇紀1561)延喜元年
菅原道真が、従二位を受ける
藤原時平により、醍醐天皇を退けて自分の娘を嫁がせていた斉世親王を皇位に就けようと謀ったと嫌疑をかけられ、
大宰権帥(だざいふごんのそち)に左遷され、子供4人も流刑に処された
三善清行は、藤原時平に対して、
菅原道真の関係者を全て連座させると、朝廷が機能停止に陥ることを指摘して、
処分を
菅原道真の親族と
宇多上皇側近のみに留めてさせたといわれる
三善清行は、
菅原道真の子 菅原高視の失脚により、後任として大学頭を兼任する
903年(皇紀1563)延喜3年2月25日
濡れ衣を着せられたままの
菅原道真は、無念のうちに大宰府で死去し、同地(後の安楽寺)に葬られる
その後、京都では落雷などの天災が相次ぎ、
菅原道真の祟りとの噂が広まる
「扶桑略記」によると
藤原時平は急病にかかり床に伏せ、三善清行の子 僧の浄蔵が、
菅原道真の怨霊を取り除く加持祈祷を行う
その時、見舞いにきていた三善清行に、藤原時平の耳から龍の姿をした
菅原道真の怨霊が出てきて、
加持祈祷を止めさせるように迫ったという
三善清行が浄蔵に祈祷を止めさせると、藤原時平の病態が急変し息をひきとったといわれる
【その他】
<善家秘記>
怪異奇談を信じていたといわれ、怪異奇談を集めた説話集「善家秘記」を著する
現存はしていないが、転載された一部が残っている
<円珍和尚伝>
<藤原保則伝>
漢詩文にも優れていたといわれる
【三善清行邸跡へのアクセス】
市バス 堀川松原 徒歩約3分
市バス 堀川五条 徒歩約5分