京都通(京都観光・京都検定)百科事典京都御所(きょうとごしょ)
京都御所(きょうとごしょ)は、烏丸通、今出川通、寺町通、丸太町通で囲まれた京都御苑内の中央北部にある
京都御苑(きょうとぎょえん)は、環境省所管の国民公園で誰でも自由に出入りができる、約63万m2の広さがある
京都御所は、宮内庁の所管で、見学には事前の申請が必要
大宮御所、仙洞御所(いずれも宮内庁所管)が隣接する
現在の京都御所は、江戸時代末期の1855年(皇紀2515)安政2年に、平安朝の古制を模して再建したもの
京都御所は、1869年(皇紀2529)明治2年に天皇の東京行幸(事実上の東京遷都)が行われ、
その機能が東京に移るまで、歴代天皇のお住まい、執務所となっていた
<建礼門>
南にあたる御所正面入口の正門
素木、切妻造、桧皮葺(ひわだぶき)、柱間1間の四脚門
天皇や国賓の来場など、特別な行事の時のみ開門される
左右の築地塀(ついじべい)には5本の筋(水平の線)が入っており、塀として最高の格式を示す
建礼門を入り、朱塗り瓦葺の承明門(じょうめいもん)を抜けると正面が紫宸殿になる
<朔平門> 裏門(北門)
<宜秋門> 西側の南
<清所門> 西側の真ん中
<皇后門> 西側の北
<建春門> 東側の南
<紫宸殿(ししんでん)>
御所の正殿で、天皇の即位式や立太子礼などの最重要儀式が執り行われた建物
南庭(なんてい)に面して南向きに建っている
入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、平面は33m×23mほどの大きさで、華美な装飾のない簡素な建物
中央の母屋の東西南北に庇を付した形になる
建具には、蔀戸(しとみど)が使われている
内部は、板敷きの広い空間で、高御座(たかみくら)(天皇の座)と、御帳台(みちょうだい)(皇后の座)が置かれている
高御座、御帳台ともに高さ約5m、平面八角形で、柱と柱の間に帳(とばり)(カーテン)が張られ、内部には椅子が置かれている
高御座、御帳台の背後の襖は「賢聖障子(けんじょうのしょうじ)」と称され、中国古代の賢人32人の肖像が描かれている
建物正面の階段の左右には「左近の桜」と「右近の橘」の木がある
<御池庭(おいけにわ)>
<御内庭(ごないてい)>
<清涼殿>
紫宸殿の背後の西側にあり、正面が東側となる
紫宸殿と同様に、入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、建具には蔀戸(しとみど)が使われている
本来は、天皇の居所兼執務所だったため、建物内は紫宸殿より細かく仕切られている
天皇が常御殿に居住するようになってからは、清涼殿も儀式の場として使われるようになる
中央の母屋には、天皇の休憩所である御帳台(みちょうだい)がある
その手前の東側には、天皇の公式の執務場所である「昼御座(ひのおまし)」がある
母屋の北側に天皇の寝室の、四方を壁で囲われた「夜御殿(よんのおとど)」がある
裏側の西側には、鬼の間、台盤所(だいばんどころ)、朝餉の間(あさがれいのま)、御手水の間(おちょうずのま)、御湯殿があり、南側には殿上の間がある
これらの部屋の障壁画は、宮廷絵師の土佐派によるもの
建物正面の庭には「漢竹」(かわたけ)、「呉竹」(くれたけ)が植えられている
<小御所(こごしょ)>
東宮御元服・立太子などの儀式に用いられ、江戸時代には幕府使者や京都所司代との謁見の場としても用いられた
平安京の内裏にはなかった建物
1251年(皇紀1911)建長3年の再建のときに造営された
1867年(皇紀2527)慶応3年12月9日
王政復古の大号令が行われた日の夕方
小御所に関係者が集まり天皇の御前で新体制の話し合いが行われた
その他の主な建物
御車寄
諸大夫の間
新御車寄
月華門、承明門、日華門
春興殿
御学問所
常御殿(つねごてん)
迎春(こうしゅん)
御涼所(おすずみしょ)
御花御殿
皇后宮常御殿
若宮常御殿
姫宮常御殿
飛香舎
<2006年(皇紀2666)平成18年>
春季一般公開 4月5日から9日まで
テーマは「宮中の調べ」
小御所において、貴族の正装である十二単(ひとえ)などを身につけた京人形6体が飾られ
宮廷人が笙(しょう)や琵琶、太鼓などで合奏する様子が再現される
御学問所において、詩に節をつけ歌う朗詠が人形で再現される
大臣宿所では生け花が展示される
春興殿前広場では雅楽、御学問所南縁座敷では琴が演奏される