京都の史跡(しせき)(History Spot of KYOTO)

文化財保護法にもとづく史跡

 京都には、文化財保護法にもとづく特別史跡が3ヶ所
 史跡が86ヶ所ある

 <国の特別史跡・国の史跡

【離宮など】

 <京都御所
 <京都御苑

 <二条城
 <桂離宮
 <修学院離宮

 <鳥羽離宮跡

【御陵】

 <後白河天皇法住寺陵
 <後鳥羽天皇大原陵
 <近衛天皇安楽寿院南陵
 <順徳天皇大原陵
 <鳥羽天皇安楽寿院陵
 <陽成天皇樂岡東陵
 <伏見桃山陵

 <桂宮東ノ墓地・桂宮西ノ墓地
 <伏見宮墓地 久邇宮墓地
 <大覚寺宮墓地
 <有智子内親王墓
 <伊予親王陵
 <圓山陵墓参考地
 <入道塚陵墓参考地

【古代の史跡】

 <一乗寺下り松
 平安時代中期、「一乗寺」と称される天台宗の寺院があったといわれるところ
 ここの松の樹の下で、江戸時代初期の剣客 宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘したといわれる

 <一遍上人念仏賦算遺跡
 時宗の開祖 一遍上人が7日間滞在して賦算や踊念仏を行い極楽浄土へと導いたゆかりの地

 <今里城跡
 戦国時代に、能勢氏によって乙訓寺の南の風呂川右岸に築かれたの城の遺跡

 <鉄輪跡
 謡曲「鉄輪(かなわ)」の由来となった故事「鉄輪塚」の跡地

 <甲塚古墳
 嵯峨野の甲塚町の台地の上にある古墳時代後期の円墳

 <烏丸御池遺跡・平安京跡
 縄文時代末期から古墳時代の集落の跡

 <河原院跡
 平安時代中期、嵯峨天皇皇子 左大臣 源融(みなもとのとおる)が隠棲した邸宅「六条河原院」の跡地

 <閑院跡(かんいんあと)
 平安時代から鎌倉時代初期にかけてあった藤原氏の邸宅跡

 <菅家邸址(かんけていあと)
 文章家として朝廷に仕え、多くの学者を輩出した菅家(菅原氏)の邸宅「白梅殿・紅梅殿」跡
 菅大臣神社の前に石碑が立つ

 <北野廃寺跡
 奈良時代から平安時代中期の京都盆地に建立された最古の寺院跡

 <見真大師遷化旧跡
 浄土真宗の開祖 親鸞聖人が死去された善法院があった跡地

 <鴻臚館
 外国使節の宿泊などの接遇を行う施設
 羅城門の北、朱雀大路の左右の二ヶ所に設けられていた

 <西行井戸
 嵯峨野落柿舎の北側、天龍寺塔頭弘源寺の境外墓地の東側にある西行法師が使った井戸

 <西寺跡
 平安京の造営のとき、東寺とともに二大官寺の一つとして羅城門の西に創建された寺院の史跡

 <人康親王山荘跡
 山科北部にある、人康親王が出家して隠棲した山荘跡

 <三条烏丸御所跡
 平安時代後期、藤原氏の大邸宅が建てられ、鳥羽上皇の御所にもなったところ

 <将軍塚大日堂
 円山公園の南東側の標高215mの華頂山の山頂にあり、桓武天皇が将軍像を埋めたとされる円墳がある

 <勝竜寺城公園
 足利尊氏率いる北朝方の細川頼春が、南朝に対抗するために築城した平城跡

 <白河院並びに法勝寺跡
 摂政 藤原良房の別荘で、後に、白河天皇に献上され、法勝寺が建立された跡地

 <親鸞聖人御入滅之地
 浄土真宗を開いた親鸞聖人が死去されたところ
 親鸞聖人が晩年、妻 玉日君(関白 九条兼実の娘)と過ごされた月輪本庄花園殿だったところで現在の光圓寺

 <聚楽第
 安土桃山時代
 関白になった豊臣秀吉平安京大内裏跡内野に創建した天守閣を持つ壮大な屋敷
 いたるところに金箔が貼られた豪華爛漫な建物で、堀が巡らされた城郭だったといわれる

 <菅原院跡(すがわらいんあと )
 文章家として朝廷に仕え、多くの学者を輩出した菅家(菅原氏)の邸宅跡
 菅原院天満宮神社の前に石碑が立つ

 <尊勝寺跡
 六勝寺の一つで堀河天皇の勅願寺

 <大楠公戦陣蹟
 一乗寺下り松にある史跡
 楠木正成が、足足利尊氏から京都を奪回するときに、この地に陣所を張った跡地

 <平清盛公西八条殿跡
 平安時代末期に、現在の梅小路公園付近に築かれた平清盛の邸宅「西八条殿」の跡

 <平重衡塚
 平安時代末期の武将・公卿 平重衡のお墓

 <高松殿跡
 醍醐天皇の皇子 源高明の邸宅跡
 白河上皇鳥羽上皇の院御所、後白河天皇内裏にもなる

 <千種忠顕卿遺跡
 公家 千種忠顕が、足利軍から後醍醐天皇を護るために戦い戦死を遂げた場所

 <天満宮降誕之地
 後に天神さんとして天満宮に祀られた菅原道真の誕生の地といわれる菅家(菅原氏)の邸宅跡

 <得長寿院跡
 鳥羽上皇の勅願を受け平忠盛が建立した御願寺 得長寿院観音堂の跡地

 <百々橋の礎石
 応仁の乱で、数度にわたり東西両軍が対峙して大きな合戦が行われた百々橋の橋脚を支えていた礎石

 <道元禅師示寂之聖地
 曹洞宗開祖 道元禅師が死去されたところ

 <長岡宮跡
 桓武天皇によって奈良から遷都された長岡京の大内裏跡

 <中臣群集墳跡
 栗栖野丘陵にある小円墳の群集墳

 <西陣舟橋
 堀川が氾濫した時に、船を繋いで橋としたといわれるところ

 <二条御所跡
 織田信長が将軍 足利義昭のために造営した居城「旧二条城」(現在の二条城とは異なる)の跡

 <二条殿跡
 公家 太政大臣 二条良基の邸宅跡

 <花の御所跡
 室町幕府3代将軍 足利義満が造営した邸宅 室町殿跡

 <東三条殿跡
 里内裏にもなっていた摂関家 藤原氏の大邸宅の跡

 <日野家廟所
 伏見区日野の浄土真宗開祖 親鸞聖人日野誕生院の北東傍にある日野家の墓所

 <方丈の庵跡
 鴨長明が、方一丈(約3m)の小庵を営み、「方丈記」を著したところといわれる跡地

 <北条別邸逍遥遊

 <堀河天皇里内裏跡
 堀河天皇が、成長・受禅・崩御された堀河院(堀川殿)の跡地

 <松本宗悟邸址
 戦国時代に歌人として活躍した松本宗悟の邸宅跡

 <三善清行邸跡
 平安時代初期の漢学者・政治家 三善清行の屋敷があったといわれるところ

 <山名宗全邸宅跡
 応仁の乱において、西軍の主将 山名家の屋敷があったところ

 <夕顔墳
 「源氏物語」の光源氏が見い出して通った女性 夕顔が、乳母とひっそり暮らしていた「五条なる家」の伝説の地
 「源語伝説五条辺夕顔墳」の石碑が立っている

 <羅城門跡
 平安京の正門

 <六勝寺
 平安時代後期の院政の時期、鴨川東岸の白河の地に建てられた6つの寺院

 <六波羅探題
 源頼朝が、平氏政権の基盤であった白河南の六波羅の地を接収し、旧平清盛邸を改築して役所にして、京都での拠点

桃山時代の史跡】

 <阿国歌舞伎発祥地の石碑
 四条大橋東詰の南座の建物西側

 <出雲の阿国像
 四条大橋東詰北側

 <京の七口>
 かつて京への玄関口は、幹線道路の出入り口として数ヶ所設けられており、今も地名として残っている
 粟田口、長坂口、大原口、荒神口、伏見口、鳥羽口、丹波口など

 <千利休居士聚楽屋敷跡
 豊臣秀吉に仕えていた千利休が、豊臣秀吉が造営した聚楽第の近辺に邸宅を構えて茶会を催したところ

 <太閤堤
 豊臣秀吉伏見城を築城するときに、宇治川と巨椋池を分離させるために築いた石積みの堤防

 <大仏
 豊臣秀吉方広寺に建立した「京都の大仏」

 <伏見城
 豊臣秀吉が築いた城

 <豊国廟
 豊臣秀吉のお墓

 <耳塚
 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)の朝鮮・明兵の戦死者の耳、鼻を弔った塚

 <妙顕寺城跡
 豊臣秀吉が、妙顕寺を移転させ、堀をめぐらし天守閣を造り、聚楽第ができるまで京都の政庁としたところ

江戸時代の史跡】

 <有栖川宮旧邸
 旧有栖川宮邸の遺構、現在は、平安女学院の教育施設「有栖館(ありすかん)」

 <石田梅岩生誕地
 江戸時代中期に町人哲学を確立した石田梅岩の生誕の地で、生家が残っており、お墓や記念館がある

 <石田梅巌邸跡
 石田梅岩が、無料講座を開いて思想を説いた自宅跡

 <梅辻家住宅
 上賀茂北大路町にある上賀茂神社に仕えた神主筋の社家 賀茂七家の一つ

 <大石良雄閑山科居跡
 赤穂浪士 大石内蔵助良雄が、邸宅を建てて約3年間、隠棲を装い、吉良邸討ち入りの機会を伺っていたところ
 山科の岩屋寺に石碑が立つ

 <太田垣蓮月仮寓跡
 尼僧・歌人・陶芸家 太田垣蓮月の寓居の跡

 <加賀藩邸跡
 加賀藩前田家の藩邸跡で、京都における連絡事務所だったところ

 <荷田春満旧宅
 江戸時代中期の国学の四大人の一人・歌人 荷田春満の生まれ住んだところ
 伏見稲荷大社境内に隣接している

 <北村季吟先生遺蹟
 江戸時代前期の歌人・俳人・和学者 北村季吟が過ごした地

 <究理堂
 小石元俊が開設した私塾・医学塾

 <去来墓
 江戸時代前期の俳諧師 向井去来(むかいきょらい)の遺髪が納められた塚

 <金座跡碑
 江戸時代に金貨の鋳造が行われていた場所

 <銀座跡碑
 江戸時代に銀貨の鋳造が行われていた場所

 <日本近代医学発祥の地
 山脇東洋が、死体の解剖に立ち合い、人間の内臓を初めて観察したところ

 <九条邸跡
 京都御苑の南西部にある五摂家の一つ九条家の邸宅跡

 <元政上人旧跡
 江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧 元政上人が隠棲したところ

 <元和キリシタン殉教の地

 <幸野楳嶺生誕地
 新町通四条通下ったところにある画家 幸野楳嶺の生誕の地

 <湖白庵跡・五升庵跡
 俳人 諸九尼(しょきゅうに)と幻阿蝶夢(げんあちょうむ)のそれぞれの住居跡

 <佐賀鍋島藩屋敷跡
 江戸時代初期に、肥前国佐賀郡(現在の佐賀県)の鍋島家の佐賀藩邸があった跡地

 <澤井家住宅
 京田辺市にある、代官を務めていた澤井家の住宅

 <瑞源院跡
 初代福山城主 水野勝成が、父 水野忠重のために創建した菩提寺

 <角倉氏邸跡
 大堰川(保津川)高瀬川を開削した角倉了以・角倉家の邸宅跡
 現在は、日本銀行京都支店

 <角倉了以別邸跡
 大堰川(保津川)高瀬川を開削した角倉了以・角倉家の別邸跡
 現在は、高瀬川源流庭苑

 <角倉了以翁顕彰碑
 大堰川(保津川)高瀬川を開削した角倉了以の顕彰碑
 元立誠小学校の玄関脇にあり、近くには「高瀬川の沿革」も掲示されている

 <千利休居士・千宗旦居士遺蹟今日庵

 <千利休居士遺蹟不審庵

 <高瀬川一之舟入
 高瀬川を運行する高瀬舟の荷物の揚げ降ろしや、船の方向転換をするための堀割の船溜所

 <丹波国亀山藩京屋敷跡
 丹波国亀山藩(現在の亀岡市)藩主松平信岑の京屋敷があったところ

 <二條陣屋(小川家住宅)
 江戸時代初期に、小川家の住宅として建てられた京町家

 <二之船入跡
 高瀬川を運行する高瀬舟の荷物の揚げ降ろしや、船の方向転換をするための堀割の2番目の船溜所

 <八文字屋自笑翁邸跡
 江戸時代中期の浮世草子出版者の邸宅の跡

 <肥前鹿島鍋島藩屋敷跡

 <伏見銀座跡
 徳川家康によって日本で最初に銀座がおかれたところ

 <松永昌三講習堂跡
 江戸時代初期の儒学者の松永昌三が、京都で最初の私塾 春秋館を開いた後に設立した講習堂の跡

 <松永貞徳花咲亭址
 江戸時代初期の俳人・歌人、貞門俳諧の祖 松永貞徳が隠居後に移り住んだ花咲亭の跡

 <円山応挙宅址
 江戸時代中期の絵師 円山応挙の邸宅跡

 <水の堰止めの石
 高瀬川の水位を上げるために堰を作るための石

 <村雲御所跡
 現在の西陣織会館がある地で、宮家や摂関家からの入寺があったため「村雲御所」と称された瑞竜寺跡

 <本居宣長先生修学之地
 国学者・文献学者・医師 本居宣長が、若き日に5年間、学問を修めた場所

 <弥次喜多の像
 東海道の終点の三条大橋の西詰めの木陰に立つ東海道中膝栗毛の主人公

 <八橋検校道場跡
 箏曲家 八橋検校の旧宅跡で、箏と三絃の道場があったところ

 <八ツ橋発祥の地
 京都の名物菓子の一つ八ツ橋の発祥の地
 聖護院の森の跡にたつ熊野神社の境内に石標がある

 <山本亡羊読書室旧蹟
 薬学・本草学者の山本亡羊が、薬草園を持った読書室(学校)において門弟の養成にあたったところ

 <夕霧大夫遺跡
 江戸時代島原の名妓(めいぎ)夕霧太夫(ゆうぎりたゆう)の遺跡

 <与謝蕪村宅跡
 江戸時代中期の日本の俳人・画家 与謝蕪村の終焉の地とされる邸宅跡

幕末維新の史跡】

 <贈従五位赤松小三郎先生記念>(下京区) 信州上田藩士 赤松小三郎が、暗殺された地
 <池田屋騒動跡>    (中京区) 三条小橋の旅籠 新選組長州藩を襲撃
 <岩倉具視幽棲旧宅> (左京区) 岩倉具視の旧宅
 <梅田雲浜邸跡>    (中京区) 若狭小浜藩士で幕末の尊攘派志士の儒学者
 <近江屋跡碑>      (中央区) 河原町通蛸薬師の醤油屋 坂本龍馬と中岡慎太郎が京都見廻組の襲撃で殉死
 <桂小五郎幾松寓居跡>(中央区) 長州藩藩士 桂小五郎と妻 松子となった芸妓 幾松が暮らした屋敷跡
 <桂小五郎像>      (中央区) 長州藩藩士で尊皇攘夷派の中心人物 後の木戸孝允の顕彰像
 <狐塚>          (南区)   都城六勇士の墓地
 <木戸孝允旧跡>    (中京区) 長州藩藩士 桂小五郎の京都別邸跡
 <木屋町通>       (中京区) 多くの襲撃事件跡が残る
 <京都守護職屋敷跡>  (上京区) 幕末の政治・治安の維持に対処するため江戸幕府が設置した要職の屋敷
 <御鎮座旧跡>      (中京区) かつてこの地に、稲荷大明神・角一龍王・白姫辨財天が祀られていた跡
 <御陵衛士屯所跡>   (東山区) 勤王派、孝明天皇の御陵衛士15名の屯所
 <坂本龍馬寓居跡>   (中京区) 海援隊屯所跡 材木商 酢屋
 <坂本龍馬妻お龍寓居跡>(中京区) 木屋町通 坂本龍馬の妻 お龍の独身時代の寓居跡
 <坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地>(中京区) 近江屋事件 醤油屋で京都見廻組の襲撃を受け両名とも殉死したところ
 <佐久間象山・大村益次郎遭難の地>(中京区) 開国論の思想家 佐久間象山と、長州藩兵学者 大村益次郎が暗殺されたところ
 <佐久間象山寓居跡>  (中京区) 開国論の思想家 佐久間象山の最後の住居の跡
 <薩摩藩邸跡>      (上京区) 公武合体派を推進する薩摩藩の二本松藩邸跡 現在は同志社大学
 <新選組遺蹟>      (中京区) 新選組が屯所とした八木邸の門前に立つ石碑
 <新選組洛中最後の屋敷跡>(下京区) 葛野郡不動堂村に建立された新選組の屋敷跡
 <新選組屯所遺蹟>   (中京区) 新選組が屯所とした八木邸の門前に立つ石碑
 <翠紅館跡>       (東山区) 翠紅館会議
 <武市瑞山先生寓居跡>(中京区) 土佐勤王党の盟主 武市瑞山の京都滞在時の宅跡
 <長州藩邸跡>      (中京区) ホテルオークラの一角 公武合体論・尊王攘夷派の一大拠点
 <寺田屋>         (伏見区) 伏見区南浜町の元船宿 薩摩藩尊皇派の粛清事件 伏見奉行の坂本龍馬襲撃事件
 <土佐藩邸跡>      (中京区) 勤皇志士の拠点
 <鳥羽・伏見の戦跡>  (伏見区) 旧江戸幕府軍と新政府軍の戦い
 <中岡慎太郎寓居之地>(中京区) 脱藩後に住居とした土佐藩御用達 書林菊屋(鹿野安兵衛宅)の跡
 <橋本左内寓居跡>   (中京区) 越前国福井藩士 開国派 安政の大獄の志士
 <蛤御門>         (上京区) 京都御苑の西側の門 長州藩と幕府軍との激戦地
 <彦根藩邸跡>      (中京区) 彦根藩の京都における連絡事務所であった
 <兵部大輔大村益次郎公遺跡>(中京区) 大村益次郎が襲撃された宿所の跡
 <福井藩邸跡>      (中京区) 公武合体運動の活動拠点 安政の大獄
 <古高俊太郎邸跡>   (中京区) 近江国出身の尊皇攘夷派の志士 古高俊太郎が潜伏していた邸跡
 <本間精一郎遭難地>  (中京区) 越後国出身の勤皇の志士 本間精一郎が、薩摩藩・土佐藩志士に暗殺された場所
 <間部詮勝寓居跡>   (中京区) 安政の大獄を指揮した老中 間部詮勝が滞在した妙満寺の跡
 <壬生寺界隈>      (中京区) 新選組の拠点の一つ
 <森寛斎宅蹟>      (中京区) 討幕運動にも参加した長州藩出身の円山派の画家の邸宅跡
 <八木邸>         (中京区) 新選組の屯所の一つ
 <吉村寅太郎寓居跡>  (中京区) 土佐藩出身の尊王攘夷派志士 天誅組の吉村寅太郎の仮住まい跡

【明治時代以降の史跡】

 <稲荷駅ランプ小屋
 現存する鉄道関係施設として日本最古のもので、鉄道記念物に指定されている

 <尾上松之助の銅像
 明治時代から大正時代にかけて1,000本以上の時代劇映画に出演した日本最初の映画大スター

 <開智小学校跡
 京都近代化政策により、日本で最初に創設された64の番組小学校の一つである下京第11番組小学校跡
 現在は、京都の教育と学校の歴史が紹介されている京都市学校歴史博物館として活用されている

 <明治天皇行幸所 織工場跡
 京都府が新工業奨励の一つとして開設した織物技術伝習所
 現在は、日本銀行京都支店

 <明治天皇行幸所勧業場阯
 京都近代化政策の一環により産業振興の中枢機関として設置された勧業場跡

 <明治天皇御遺跡
 明治天皇が、毘沙門堂領地内で東海道沿いにあった茶店 奴茶屋に3回、寄られた山科駅の南に立つ石碑

 <九条山浄水場ポンプ室
 琵琶湖疏水を防火用水として京都御所へ送るために建設された建物

 <京阪バス発祥之地
 京阪電鉄 伏見桃山駅の東側駅前にある京阪バス発祥の記念碑

 <水力発電事業発祥地
 日本最初の商用発電所である蹴上発電所の入口付近に石碑が立てられている

 <舎密局跡
 京都の産業を振興する目的で、京都府が設立した理化学工業研究所

 <御大典記念埋立工事竣工記念碑
 伏見区南浜町の濠川沿いに立つ、昭和天皇御大典記念事業の一環で行われた埋立工事の竣工記念碑

 <秩父宮御殿
 大覚寺に貴賓館として下賜された秩父宮家の旧邸の遺構

 <茶碗子の井戸
 石峰寺の近くの小さな地蔵堂の横にある名水の井戸

 <ちりめん洋服発祥の地
 田中佐起三が、ちりめん素材を使った洋服を創業した場所

 <電気鉄道事業発祥の地
 日本で最初の市街電車が開通を記念した石碑

 <女紅場跡
 明治時代初期に日本で最初に創設された、女子に裁縫、料理、読書きなどを教えるための施設跡

 <パピールファブリック
 京都府が、殖産業振興策として右京区梅津に建設された官営製紙工場

 <琵琶湖疏水
 琵琶湖の湖水を、灌漑用水、物資運搬、発電など多目的に活用された大津市三保ヶ崎から京都市蹴上までの水路
 第一疏水を、「山科疏水」と称する

 <弥阿弥ホテル
 長崎県の井上万吉が、安養寺塔頭のひとつ也阿弥を買い取り開業した、京都で最初に出来た本格的な西洋式ホテル

 <陸軍第十六師団司令部
 日本最古の陸軍用地といわれる

 <柳池小学校跡
 日本で最初に開校された柳池小学校の跡

 <療病院址
 府立医科大学附属病院の前身で、日本の近代医療の発展に寄与した療病院の跡


【京都検定 第1回3級】

6.京都守護職であった松平容保率いる会津藩が本陣とした寺院はどこか?

7.元治元年(1864年)、禁門の変(蛤御門の変)が勃発したきっかけとなった、新選組が襲撃した、尊皇攘夷派の長州藩藩士らが会合していた三条木屋町西入の旅籠はどこか?

坂本龍馬"> 8.伏見区にある船宿である寺田屋で、幕吏に襲撃され、後に妻となるお龍の気転によって難を逃れたのは誰か?

9.慶応3年(1867年)、徳川慶喜が大政奉還を行ったところはどこか?

10.慶応4年(1868年)正月に始まった戌辰戦争の発端となったところはどこか?

52.修学院離宮や桂離宮の建築様式は何か?

53.桂離宮を、「日本建築の世界的奇跡」と絶賛したドイツの建築家は誰か?

59.二条城の二の丸御殿に残る絢爛豪華な障壁画は何派の作品か?

99.かつて洛中の周囲に設けられた「京の七口」のうち、東海道の出入口は?

【京都検定 第2回3級】

【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第2回2級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第4回2級】

【京都検定 第2回1級】

【京都検定 第3回1級】

【京都検定 第4回1級】

【京都検定 第5回1級】


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赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
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