「備後国風土記」逸文によると
八坂神社の祭神 素戔嗚尊(牛頭天王)が南海に赴く途中に日が暮れて宿を探していたとき、
貧しい兄の蘇民将来(そんみんしょうらい)と、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)がいて、
巨旦将来は、素戔嗚尊の宿泊を拒み、
蘇民将来は、粗末ながらも、ひえの食事とわらの布団で、素戔嗚尊を温かくもてなした
後日、疫病が流行り多くの死者が出たときに、素戔嗚尊が、八柱の御子を連れて再び来訪し、
先般のお礼として、今後、蘇民将来の子孫を疫病から守ることを約束され、
その目印に、腰に蘇民将来の子孫であることを記した茅の輪をつけさせたといわれる
厄除けのお守りとされる「蘇民将来之子孫也」と護符の付いた「ちまき」が、祇園祭の宵山の日だけ授けられ、
一年間、玄関先に飾られる
飾り粽で食べられない
上賀茂の農家において
藁(わら)を軸にして、クマザサの葉をい草で三角形に巻き、それを10本ずつ束にして木型で形を整えられる