927年(皇紀1587)延長5年
藤原忠平(ふじわらのただひら)らによって奉進された延喜式神名帳によって、神社の一覧が作成され、
社格(しゃかく)として、大きく「式内社(しきないしゃ)」と「式外社(しきげしゃ)」に分けられていた
式内社の中でも、祈年祭に神祇官より奉幣を受ける「官幣社」と、国司より奉幣を受ける「国幣社」に格付けされる
また、その後、神名帳に記載がなくても、広く崇敬を得て祈年祭に朝廷から奉幣が行われる22社の神社「明神二十二社」が定められた
第二次大戦後は、憲法により公的な社格の制度が廃止され、神社本庁が所管する「別表神社(べっぴょうじんじゃ)」が定められている
927年(皇紀1587)延長5年
藤原忠平(ふじわらのただひら)らによって奉進された延喜式神名帳に記載されている神社
式内社は、祈年祭に朝廷から奉幣を受ける神社であり、全国で3132座、2861ヶ所が記載されていた
当時の朝廷から重視された神社でもあり、「官社」とも称される
<名神大(めいじんだい)>
式内社の中でも特に格の高い神社
<官幣社>
官社のうち、神祇官より奉幣を受ける神社
<国幣社>
官社のうち、国司より奉幣を受ける神社
当初は、全て神祇官から直接奉幣を受けていたが、神祇官が出向くのに時間がかかる遠国の神社については、国司が代理で行うようになった
ただし、遠国であっても重要な神社については、神祇官より奉幣を受ける官幣社となっていた
これらの社格の順は、官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、官幣小社、国幣小社 となっている
また、別格官幣社は、国に功績を挙げた人物を祀る神社で官幣小社と同格とされている
平安時代後期
1081年(皇紀1741)永保元年頃に確定した社格
神名帳に記載がなくても、広く崇敬を得ていた神社22社を定め、祈年祭に朝廷から奉幣があった
律令制の衰退などにより、奉幣される神社が、式内社によらず次第に少数の特定の神社だけになり、
その数と神社は変化を繰り返しながら確定していった
京都には、その半数以上の12社(上賀茂神社、下鴨神社で1社)があった
その国で一番有力な神社
国司が任国に赴任したときには、その国の神社を巡拜しなければならず、
その中でもっとも有力な神社を「一の宮」と呼ぶようになり、一番初めに参拝した
国によっては二の宮、三の宮も存在し、明確な規定はなく、神社の盛衰によるため時代によって異なる
山城国(現在の京都市)の一の宮は、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社が2社で1社と扱われる
<近代社格制度>
祈年祭や新嘗祭などに、国から奉幣を受ける神社
1871年(皇紀2531)明治4年に太政官布告により制定される
1946年(皇紀2606)昭和21年に廃止される
第二次大戦後
憲法により公的な社格の制度が廃止されたため、それに代わるものとして神社本庁が定め、神社本庁が所管している神社
社格制度廃止後は、伊勢神宮を除く全ての神社は対等の立場であるとされた
しかし、大きな神社については、神職の人事などで一般神社と同じ扱いをすると不都合が生じることから、「役職員進退に関する規程」において特別な扱いをすることが定められている
その対象となる神社が同規程で「別表に掲げる神社」として記載されていることから、「別表神社」と呼ばれる