大本(おほもと)は、出口なおに降臨した国祖 国常立大神の神示により立教した神道系新教派
<二大教祖>
出口なおを「開祖」、出口王仁三郎を「聖師」と称し、この二人を二大教祖とする
<二大教典>
出口なおの「大本神諭」、出口王仁三郎の「霊界物語」を二大教典とする
<二大聖地>
天恩郷(亀岡市)と梅松苑(京都府綾部市)を二大聖地とする
1919年(皇紀2579)大正8年
天恩郷は、明智光秀が城主だった亀山城の跡地を買収したもの
<大本三派>
1980年(皇紀2640)昭和55年
第三代教主 出口直日の後継者の座をめぐって内紛が起き教団が分裂する
教団内部では、出口王仁三郎が生前にこの内紛を予言していたといわれる
大本 出口直日が後継者と指定した出口聖子を四代教主とする
愛善苑 教主を置かず出口王仁三郎を苑主とする
大本信徒連合会 出口直日の長女である出口直美を四代教主とする
大本は、他に多くの教団を派生し神道系新教派に大きな影響を与えた
第一次大本事件を受けて信者が独立する
生長の家(谷口雅春)
第二次大本事件の後
心霊科学研究会(浅野和三郎)
世界救世教
三五教
大本事件は、大本の宗教活動に対して、警察が行った宗教弾圧
<第一次大本事件>
1920年(皇紀2580)大正9年
大阪の有力新聞だった大正日日新聞を買収して言論活動にも進出する
当時の有力信者・浅野和三郎を中心とする一派が、「大正維新」「大正十年立て替え説」を唱えて独走し、
社会体制の変革を主張し、天変地異の予言と称して一般市民を混乱させていると批判される
1921年(皇紀2581)大正10年2月12日
不敬罪と新聞紙法違反の疑いで、出口王仁三郎と教団幹部が検挙される
出口王仁三郎は、126日後に保釈されたが、本宮山神殿(綾部市)が破壊される
裁判は、大審院まで争われたものの審理中に大正天皇が崩御され免訴となる
<第二次大本事件>
出口王仁三郎は、第一次大本事件の保釈の後の秋頃から「霊界物語」の口述を始めている
また、世界共通言語エスペラントを導入したり、ラマ教との提携などの活動を行う
頭山満、内田良平ら右翼人士との交流を行い、
昭和神聖会を結成して軍事教練などを施したり、「昭和維新」の実現のために急進的な行動を取った
1935年(皇紀2595)昭和10年12月8日
警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を不敬罪並びに治安維持法違反で急襲
出口王仁三郎は、宣教先の松江市で検挙され、取り締まりは地方の支部や関連機関にもおよび
教団幹部61名が検挙され、8名が起訴された
また、徹底した弾圧が行われ、亀岡と綾部の聖地は跡形も無く破壊され、関連施設も競売にされ、
激しい拷問により16人が死亡している
1938年(皇紀2598)昭和13年
裁判が開廷、激しい法廷闘争が行われる
1942年(皇紀2602)昭和17年7月
第二審判決で治安維持法違反については無罪
不敬罪については、大審院まで持ち込まれ有罪判決を受けるが
1945年(皇紀2605)昭和20年10月17日
敗戦による大赦令で無効になる
第二次大本事件は、当初、共産主義運動を壊滅させる目的をもって施行された治安維持法を宗教団体に適用した最初の案件となる