大本 天恩郷(おほもと てんおんきょう)

所在地:亀岡市荒塚町内丸   地図情報

 大本 天恩郷(おほもと てんおんきょう)は、亀岡市にある神道系宗教法人 大本の神苑

 明智光秀の亀山城跡が神苑として整備されている

【大本 天恩郷の歴史・経緯】

【大本 天恩郷】

 亀岡市の中央部にあり、明智光秀の亀山城跡で緑にかこまれた聖地

 聖師 出口王仁三郎が、幼少の時期に、この城跡で遊んでいたというゆかりの地

 天恩郷(亀岡市)と梅松苑(綾部市)を二大聖地とされる

 神教宣布の聖場とされ「天恩郷(大本本部 亀岡宣教センター)」と称される
 綾部市にある梅松苑は、祭祀を中心とする聖場とされ「(大本本部 綾部祭祀センター)」と称される

 大本大道場・愛善宣教部など大本宣教のための諸機関が設置されている

 神前結婚式や病気(悩み事)の平癒祈願、各種祭典・研修会、年中無休で大道場講座等が開かれている

【大本 天恩郷の祭神】

 <大本皇大御神(おほもとすめおほみかみ)>
 「まことの神」とし、大本だけではなく宇宙の源であるとともに、一切を統一し治めている大神であるとされる
 古事記では天之御中主神(アメノミナカヌシ)とされる
 他宗教では、阿弥陀如来、ゴッド、アラーなどと称されているもの、すべて同じ神であるとされる

 「万教同根」の真理に基づき、各宗教宗派が大和協力するよう、活発な宗教協力・宗際化活動が行われている




【大本 天恩郷の境内】

 <万祥殿(ばんしょうでん)>
 礼拝殿
 祭神 大本皇大御神(おほもとすめおほみかみ)が祀られ、天恩郷の至聖所 月宮山を拝する
 1958年(皇紀2618)昭和33年8月7日に完成
 殿内に切妻造の能舞台がある
 建物の北側に茶室「万祥軒」が隣接している
 大本の教風である「宗教と芸術の一致」の教えが具現している

 <教歌碑・懐古歌碑(きょうかひ・かいこかひ)>
 黒門から入り、万祥殿へ向かう真奈井通北側の松林の中に、3基の歌碑が立ち並んでいる
 中央が教歌碑、左右が懐古歌碑
 いずれも聖師 出口王仁三郎の筆跡による短歌が刻まれている
 1962年(皇紀2622)昭和37年8月
 中央の教歌碑が、開教70年を記念して建立される
 「鶴山に妻は錦の機(はた)を織り 吾亀岡に万代(よろずよ)を教ふ」
 1971年(皇紀2631)昭和46年8月
 左右の懐古歌碑が、聖師 出口王仁三郎生誕100年を記念して建立された
 向かって右側に、
   「いとけなき頃は雲間に天守閣 白壁はへしを懐かしみけり」
   「旧城址落ちたる瓦の片あつめ 城のかたちを造りて遊びぬ」
 左側に
   「玉の井の池に湧き立つ真清水は みつの三魂の命なりけり」
   「寝ながらに月を仰ぎしあばら家の むかしの住居吾眼に新し」

 <木の花桜
 天恩郷内にある花明山植物園の中ノ島西南端に生育している世界に有数しかない珍しい桜の原木
 樹齢約250年
 ヤマザクラ(山桜)の変種で、花弁が60から80枚もあり、一花に雌しべが2本ついている
 1953年(皇紀2613)昭和28年
 三代教主 出口直日によって発見され、命名された
 1954年(皇紀2614)昭和29年
 初代花明山植物園長 竹内敬氏と、バラ科の世界的権威 小泉源一博士によって、学会に発表されている

 梅松館
 木の花桜二世が生長している

 木の花平
 親木から取木して繁殖させたもの

 梅松苑の長生殿北側
 1991年(皇紀2651)平成3年
 梅松館の二世から取木したもので、木の花桜三世として生長している


 <天恩郷の石垣(てんおんきょうのいしがき)>
 1872年(皇紀2532)明治5年
 太政官布告による城郭存廃調査の結果、亀山城が廃城される
 以後、多くの遺構は売り払われ、石垣も、JR山陰本線(嵯峨野線)の線路敷設に使われるなど、荒廃していく
 1919年(皇紀2579)大正8年
 聖師 出口王仁三郎により、瓦礫の山となっていた城跡が購入される
 瓦礫が取り除かれると、3段ほどの石垣の基礎が現れ、それを基に散乱した石を掘り起こして積み上げられた
 1920年(皇紀2580)大正9年
 石垣が完成する
 1935年(皇紀2595)昭和10年
 第二次大本事件で、石垣は崩され、また荒れ地になる
 事件後、信徒の献労により、再び石が一つずつ組まれ、現在の石垣が完成した

 聖師 出口王仁三郎が詠んだ歌
 「石を割る石工の槌の音つよく 胸にこたゆるタベの城あと」(亀山城を惜しんだ青年時代)
 「吾がのぞみやうやくたちて亀山の 城址は高くよみがへりけり」(最初に石垣が完成したとき)

 <大公孫樹(おおいちょう)>
 大きなイチョウの樹

 <教学碑(きょうがくひ)>
 大公孫樹の南下にある
 大本の教えの根本となる教旨と、大本教義の根幹である三大学則が、聖師 出口王仁三郎の筆で刻まれている
 縦2.4m、横5.4m、厚さ45cm、重さ27.4トンの仙台石
 1953年(皇紀2613)昭和28年4月
 開教60周年記念事業の一環として建碑された

 神人一致
  神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体なり、霊体合一して茲に無限の神徳を発揮す
  学則
   神の黙示は即吾俯仰(ふぎょう)観察する宇宙の霊力体の三大を以てす
   一、天地の真象を観察して真神の体を思考すべし
   一、万有の運化の亳差(ごうさ)無きを視て真神の力を思考すべし
   一、活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし
  以上の活経典あり、真神の真神たる故由を知る、何ぞ人為の書巻を学習するを要せむや、唯不変不易たる真鑑実理あるのみ
  右神諦文は聖師 出口王仁三郎明治三十一年如月九日高熊山修行の砌(みぎり)案出したる教義の一部分なり
  昭和十年九月八日 王仁識之

 <大本四大主義碑>
 教学碑のそばにある
 「清潔主義、楽天主義、進展主義、統一主義」と刻まれている


 <至聖所 月宮宝座 (げっきゅうほうざ)>
 天恩郷の高台にある

 月宮殿(げっきゅうでん)
 1928年(皇紀2588)昭和3年
 十字の形の礎石に月宮殿が建立される
 聖師 出口王仁三郎が、1898年(皇紀2558)明治31年の高熊山修行中に見せられた天界の宮殿を地上に模写したもの
 約9000個の石を使用した総石造、日本建築史上に類例はないといわれる独創的な建物
 月宮殿の下には、全国各地から寄せられた約1300個の「国魂石」が、信徒の手作業で積み上げられていた
 第二次大本事件により、警保局保安課により、21日間を費やし、1500発以上のダイナマイトが用いられ破壊された

 1949年(皇紀2609)昭和24年
 聖師 出口王仁三郎の意志に基づき、散乱した国魂石を積み上げられ、現在の月宮宝座が完成する
 頂には重さ約7.5トンの「天拝石」がある
 1992年(皇紀2652)平成4年12月8日から
 綾部 梅松苑の本宮山と同様に、至聖所として、禁足の地となった


 <朝陽舘(ちょうようかん)>
 教主公館
 教主が神務をとり、信徒との面会が行われる
 神前には「大本皇大御神(おほもとすめおほみかみ)」と、教御祖の神霊が祀られている
 1956年(皇紀2616)昭和31年8月に完成
 毎月15日には、「教御祖月次祭」が行われる


 <茶室 泰安居(たいあんきょ)>
 月宮宝座の西側にある茶室
 第二次大本事件前は、霊界物語「天祥地瑞」のご口述が行われた建物の一つ「高天閣」が建っていた場所
 世の泰平と、人々の安泰の願いが込められた命名
 1975年(皇紀2635)昭和50年2月
 開教80年事業の一環として、また出口直日三代教主の古希の祝いに建立され、完成する

 敷地は約300坪に、本席の泰安居(四畳半)がある
 それに隣接して、六畳の間「聴雪居」、二畳台目(茶室)「鳥声居」がある
 離れに袴付の洗月亭、腰掛待合のある花晨亭、松風軒、茶室「花鳥風月」ある
 これらを総称して泰安居と称される
 周辺の土塀は、法隆寺土塀構造木目出仕上で、建物の格調を一層高めている


 <月の輪台(つきのわだい)>
 瑞祥館前にある
 満月を型取って円形に造られている
 祭神 瑞の御霊大神(みづのみたまのおほかみ)が祀られている

 1925年(皇紀2585)大正14年
 第一次大本事件解決後に、天恩郷の整備を本格的に始めた聖師 出口王仁三郎が、最初に手掛けた聖所
 第二次大本事件が解決し、天恩郷の再建が始まると、やはり聖師 出口王仁三郎は、月の輪台の築造から始めた
 1946年(皇紀2606)昭和21年8月25日
 現在の月の輪台が完成する
 完成翌日から聖師 出口王仁三郎は、病床に伏し、1948年(皇紀2608)昭和23年1月19日に昇天する
 同年の正月元旦に二代教主は、聖師 出口王仁三郎が伏している部屋から大きな月が昇り、月の輪台に入るという霊夢を見ている


 <宣霊社(せんれいしゃ)>
 月の輪台の南側にある
 流造の銅板ぶき
 開祖 出口なお、聖師 出口王仁三郎、二代教主 出口すみ子、三代教主 出口直日、三代教主補 出口日出麿や、
大本の道のために尽力した全国の宣伝使の御霊が祀られている
 1926年(皇紀2586)大正15年
 月の輪台の西側に建てられた
 第二次大本事件で壊される
 1952年(皇紀2612)昭和27年3月
 現在の場所に再建された
 毎月14日に宣霊合祀祭が、15日に宣霊社月次祭がそれぞれ行われる
 また瑞生大祭翌日には、宣霊大祭が行われる


 <二代教主歌碑(にだいきょうしゅかひ)>
 二代教主の筆による歌碑
 月の輪台の正面の船岡山に、向かい合うようにして建立されている
 「ひのもとのくににうまれしかみのこよ よきたねおまけのにもやまにも」
 二代教主 出口すみ子が晩年に詠んだもの


【大本 天恩郷の祭事】

 <月次祭> (1月3日、3・4・6・7・9・10・12月の第1日曜日)
 <月釜 薄茶接待> (毎月6日、19日、月末日)

 <新年祭> (1月1日)
 <七草粥> (1月7日)
 <このはなざくら観桜茶会> (4月第2日曜)
 <教主生誕祭> (5月3日)
 <大本みろく能> (隔年の5月4日)
 <大本歌祭> (8月6日)
 <瑞生大祭> (8月7日)
 <秋をめでる夕べ> (9月15日)

【その他】

 <丹波亀山城跡>
 1578年(皇紀2238)天正6年頃
 明智光秀が丹波平定の軍事的拠点として築城する
 層塔型の5層の天守閣と3重の堀をめぐらし、「亀宝城」「霞城」とも称された

 1610年(皇紀2270)慶長15年
 築城の名手 藤堂高虎が、日本初の層塔型5重5階の天守を建立する
 本丸、西ノ丸、二ノ丸、三ノ丸、内堀、外堀、惣堀の三重堀があり、城下町と一体化した近代城郭として完成された

【大本 天恩郷へのアクセス】

 JR山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅 徒歩約15分

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