[INDEX]表紙
京都の歴史・経緯
日本・世界の京都
年号表
南北朝時代(なんぼくちょうじだい)の京都
Nanbokuchou Jidai
年代:1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年〜1392年(皇紀2052)元中9年/明徳3年
南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、室町時代の初期の時代
1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年に、足利尊氏が、光明天皇を践祚し、北朝を擁立したことで
後醍醐天皇の吉野遷幸により朝廷が分裂してから、
1392年(皇紀2052)元中9年/明徳3年に、3代将軍
足利義満により南北朝が統一されるまで
「吉野朝時代」とも称される
【南北朝時代の経緯】
1333年(皇紀1993)元弘3年/正慶2年
後醍醐天皇は、足利尊氏や新田義貞らにより鎌倉幕府を滅ぼし、
全国の武士に討幕の綸旨(りんじ)を出し
「
建武の新政」と称される天皇の専制政治を行う
1335年(皇紀1995)建武2年7月
中先代の乱を討伐に向かった足利尊氏が、新政から離反すると、
恩賞などに不満を持った武士たちが従う
後醍醐天皇は、新田義貞や北畠顕家に足利尊氏の討伐を命じる
1335年(皇紀1995)建武2年12月
新田軍が、箱根・竹ノ下の戦いで敗れ、足利尊氏が上洛
1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年
楠木正成や北畠顕家らが協力し、足利尊氏は劣勢になり、足利尊氏は、九州へ下り
多々良浜の戦いで九州勢力を味方につけて勝ち、勢力を立て直す
1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年5月
持明院統の光厳上皇の院宣を掲げて上洛し、
湊川の戦いで新田義貞、楠木正成の軍を破って京都を制圧する
1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年8月
足利尊氏は、
比叡山に逃れていた後醍醐天皇に和議を申し入れ、
後醍醐天皇は、和議に応じて光厳上皇の弟光明天皇に皇位を譲る
足利尊氏は、光明天皇から征夷大将軍に任じられ、正式に室町幕府を開き、
建武式目17条を定めて基本方針を示す
後醍醐天皇は、三種の神器を持ち、京都を脱出して吉野(奈良県吉野郡吉野町)へ逃れ南朝を開く
1392年(皇紀2052)元中9年/明徳3年
足利義満は、大覚寺統と持明院統を交互に立てることなどを条件に斡旋
南朝の後亀山天皇が、北朝の後小松天皇に三種の神器を渡し、南北朝が統一される
【守護大名】
鎌倉時代には、
国衙領や荘園の皇室、公家や寺社の領地には、武家の支配がおよんでいなかったが、
荘園の年貢の半分を幕府に納めることや、年貢の取立てを、武士の統治者である守護が請け負うようになり
実質的な領主となり、国の「守護大名」と称されるようになる
【吉野朝時代】
南北朝のどちらが正統であるかを巡り、多くの議論がある
徳川光圀の「大日本史」
徳川光圀は、徳川家の祖とされる新田家の正統性を示すため、南朝を正統としている
明治天皇の裁断
明治天皇により、三種の神器を所有していた南朝が正統であるとされ、
南朝が吉野にあったため「南北朝時代は」を「吉野朝時代」と称される
京都の三大祭の一つ
時代祭における、各
時代行列では、
後醍醐天皇に背き吉野に追いやった足利尊氏を逆賊として、
時代行列には登場できず
室町時代の隊列もなく、
足利尊氏と戦った楠木正成らの隊列が、吉野時代列として登場している
表紙 ・
京都の歴史・経緯 ・
京都の地理 ・
京都の神社 ・
京都の寺院
京都の伝統文化・芸術 ・
京都の生活文化 ・
京都の観光 ・
日本・世界の京都
[関連]
京都市
建武の新政
時代祭
時代行列
比叡山
足利義満
[
京ペディア ブログ]