徳川慶喜(とくがわよしのぶ)(Yoshinobu Tokugawa)

江戸時代の将軍・明治時代の政治家

生年:1837年(皇紀2497)天保8年9月29日
没年:1913年(皇紀2573)大正2年11月22日
享年:77

父親:徳川斉昭(水戸藩第9代藩主)
七男
母親:正室 有栖川宮吉子

幼名:七郎麻呂(しちろうまろ)

江戸幕府第15代征夷大将軍:1867年(皇紀2527)慶応3年〜1868年(皇紀2528)慶応4年

従一位勲一等公爵
貴族院議員

 徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は、江戸幕府最後の第15代征夷大将軍

 御三卿一橋徳川家の第9代当主、徳川宗家を相続する

 二条城 二の丸御殿に、上洛中の40藩の重臣を招集し、大政奉還を諮問した

 明治新政府では、貴族院議員となる

【徳川慶喜の歴史・経緯】

【徳川慶喜のゆかりの地】

 徳川慶喜は、将軍在職中は、一度も畿内を離れなかったが、京都でのゆかりの地は少ない

 <二条城
 1867年(皇紀2527)慶応3年10月13日
 徳川慶喜は、二条城 二の丸御殿に、上洛中の40藩の重臣を招集し、大政奉還を諮問した
 翌日、「大政奉還上表」が朝廷に提出され、その翌日、朝議が行われ大政奉還の勅許が決定される

【その他】

 <新選組
 1863年(皇紀2523)文久3年2月
 浪士組が、将軍警護と治安維持のための、金戒光明寺に本陣を置く京都守護職 松平容保の預かりとして活躍する
 1867年(皇紀2527)慶応3年6月
 将軍 徳川慶喜の直属の軍隊となり、葛野郡不動堂村に新屋敷が建立され本陣が移る


【京都検定 第1回3級】

9.慶応3年(1867年)、徳川慶喜が大政奉還を行ったところはどこか?

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第7回3級】

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