平清盛(たいらのきよもり)(Kiyomori Taira)

平安時代末期の武将、公卿

生年:1118年(皇紀1778)元永元年
没年:1181年(皇紀1841)治承5年閏2月4日(2月と3月の間のうるう月)
享年:64(満63歳)

名:清盛、浄海

氏族:伊勢平氏
父親:平忠盛
母親:白河院女房(祇園女御の妹)

官位:従一位、太政大臣

別称:平大相国、六波羅殿、福原殿、清盛入道

墓所:六波羅蜜寺祇王寺、能福寺、神戸市切戸町、彦島

 平清盛(たいらのきよもり)は、平安時代末期の伊勢平氏の武将、公卿

 保元の乱後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で武士のトップとなり、武士としては初めて太政大臣に任ぜられる

 娘の徳子(建礼門院)を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず(「平家物語」)と言われる平氏政権の時代を築いた

 平氏の独裁により後白河法皇と対立し、源氏による平氏打倒の挙兵が全国で起こる中、熱病で死去する

【平清盛の歴史・経緯】

【平清盛ゆかりの地】

 <六波羅
 平家一門の拠点の地となり、鎌倉幕府の京都における政庁「六波羅探題」が置かれた

 <六波羅蜜寺
 平清盛塚に、平清盛のお墓とされる石塔が立っている
 伝・平清盛坐像(重要文化財)は、一門の武運長久を祈願し、朱の中へ血を点じて写経した頃の経巻を手にした風姿

 <三十三間堂
 後白河上皇の広大な離宮「法住寺殿(院政の庁)」の一画に、平清盛が私財が投じられて創建された

 <新熊野神社
 後白河上皇が、平清盛に命じて、紀州の熊野権現本宮の祭神を勧請して、法住寺殿の鎮守として創建される

 <豊受大神宮(外宮)
 火除橋を渡った右手にある古木「清盛楠(きよもりくす)」は、平清盛が勅使として参拝した時に、冠にその枝が触れたといわれる

 <延暦寺
 山王院の近くの湧水「弁慶水」は、平清盛が、熱病にかかり、この水で浴したといわれる

 <祇王寺
 本堂には、本尊の大日如来像、平清盛と、祗王、刀自、祗女、仏御前の木像が安置されている
 祗王・祗女・刀自のお墓の宝篋印塔の右側に、平清盛の五輪の供養塔が立っている

 <蓮光寺
 駒止地蔵菩薩像は、平清盛が乗っていた馬が止まり急に動かなくなったため、そこを掘ってみると出てきたものといわれる

 <平清盛公西八条殿跡
 現在の梅小路公園付近に築かれた平清盛の邸宅「西八条殿」の跡
 周辺には平頼盛・平重盛・平宗盛など一族が集住した

【その他】

 <六地蔵めぐり
 8月22日〜23日
 1157年(皇紀1817)保元2年
 都では疫病が流行したとき、後白河天皇が、都の出入り口に六体の地蔵尊を祀るよう平清盛に勅命され、
 平清盛は、京洛の入口6カ所にそれぞれ六角円堂を建て1体ずつ分置し、西光法師に命じて供養させた

 <平家物語
 治承・寿永年間(1177年〜1184年)の源平動乱からの、平家の栄華と滅亡を叙事詩的に描いた軍記物語


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