寺田屋事件(てらだやじけん)(Teradaya)

幕末維新のときに寺田屋で起きた2つの事件

場所:寺田屋(てらだや) (京都市伏見区南浜町)   地図情報

薩摩藩粛正事件:1862年(皇紀2522)文久2年4月23日

坂本龍馬襲撃事件:1866年(皇紀2526)慶応2年1月23日

 寺田屋事件(てらだやじけん)は、江戸時代末期の幕末維新に、
 薩摩藩尊皇派の有馬新七らが、薩摩藩藩主の父 島津久光によって粛清された事件と、
 伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件の2件

【寺田屋事件(薩摩藩粛正事件)】

 寺田屋事件(薩摩藩粛正事件)は、寺田屋で、薩摩藩の尊皇攘夷派の藩士9名が、同じ藩士により殺傷された事件

 江戸時代後期の幕末維新
 1862年(皇紀2522)文久2年4月23日
 薩摩藩尊皇温和派の島津久光(薩摩藩主の父親)が、藩兵1,000名を率いて上洛し、同藩の急進派を押さえて
公武合体活動を始めたことに不満を持った薩摩藩の勤王討幕を主張する急進派の有馬新七ら藩士約30名が、
真木和泉、田中河内介らと共謀して、関白 九条尚忠、京都所司代 酒井忠義邸を襲撃するために、
薩摩藩の定宿だった寺田屋に集まる

 島津久光は、大久保利通に書状を持たせ、急進派を抑えようとしたが失敗し、
彼らの同志である尊王派藩士の奈良原繁ら8名を説得者として派遣する
 奈良原繁らは、有馬新七に藩邸への同行を求めたが、拒否されたために激しい斬り合いになってしまい、
結果的に同藩尊王派の同士討ちとなってしまった

 この寺田屋騒動により、島津久光は、朝廷より信望を得て、文久の改革による公武合体のために
江戸へ向かうことになる

【寺田屋事件(坂本龍馬襲撃事件)】

 江戸時代後期の幕末維新
 1866年(皇紀2526)慶応2年1月23日
 寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を、幕吏(伏見奉行配下の捕り方)が襲撃する
 坂本龍馬は、寺田屋の養女のお龍(後に坂本龍馬の妻となる)の機転と護衛の三吉慎蔵の働きにより、
危うく難を逃れる
 その後、しばらくの間、西郷隆盛の勧めで鹿児島に潜伏することになる

寺田屋

 寺田屋(てらだや)は、現在の伏見区南浜町にある元船宿

 江戸時代には、ここから大坂八軒屋まで淀川を上下する船旅の客で賑わっていた

 鳥羽・伏見の戦いで焼失
 その後、現在の建物が再建される
 有栖川宮熾仁親王の筆により篆額が掲げられている

 1894年(皇紀2554)明治27年
 広場に殉難碑が建立される

 京阪電車 中書島駅 徒歩約 5分
 市バス 京橋 徒歩約 2分
 京都駅より タクシー約15分


【京都検定 第1回3級】

坂本龍馬" class="pink"> 8.伏見区にある船宿である寺田屋で、幕吏に襲撃され、後に妻となるお龍の気転によって難を逃れたのは誰か?

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【京都検定 第4回2級】

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