小畑川(おばたがわ)(River of Obata)



流域 :京都市西京区・長岡京市・乙訓郡   地図情報

等級:一級河川
水系:淀川水系
水源:老ノ坂峠(西京区大枝地区西境)
河口:桂川右岸(乙訓郡大山崎町下植野州崎)
延長:31km

支流:下狩川・千丈川・北川・善峰川・犬川

 小畑川(おばたがわ)は、京都盆地の南西縁を流れる、桂川の支流

 西京区大枝地区(おおえちく)西境の老ノ坂峠を水源にして、南東流、長岡京市東縁部を流れ、
乙訓郡大山崎町下植野州崎で桂川右岸に注ぐ

 暴れ川として災害を与える一方、田畑を潤して流域の農業を支えてきた

 日本で最初の有料の橋である一文橋がかかる

明智光秀の貢献】

 安土桃山時代
 天正年間(1573年〜1592年)
 織田信長が京都を制圧していたころ、西京区樫原一帯は、米600石を華頂宮(皇籍・公家)に奉納させられていた
 一帯の土地は豊かだったが水流がなく、農民たちは何kmも先の池から桶で水を運んでいたといわれる

 1582年(皇紀2242)天正10年6月2日末明、本能寺の変
 明智光秀本能寺にいた織田信長を襲撃し倒し、勝利を喜び、山陰街道を抜け、
亀山城(現在の亀岡)へと急いでいた
 樫原(かたぎはら)あたりで、田植え時の水を見回り出た農民の伊平が、騎馬武者の一隊と出くわした

 武将は、伊平を見つけ、真っ赤に燃え上がっている市街地の方を指し示して、
「盛んに燃えているところはどこが分かるか? 見事、当てたら望みのものを取らせよう」と言われた
 伊平は、間違えれば打ち首にされると思い、燃え盛る方をよく見て、
「あのあたりは油小路、本能寺でございます」と答えた

 武将は上機嫌で、「見事によく分かったな。これから我が天下になる。褒美に何でも申せ」と言われ、
伊平はすぐに、「ここの農民たちは、田畑を育てる水がなくて苦労している。水が欲しい」と答えた

 後に、その伊平の望みは叶えられ、明智光秀により、嵐山一ノ堰から長岡京市と続く用水路が作られたといわれ、
 それが現在の小畑川といわれる

【その他】

 <一文橋
 向日市と長岡京市の市境にかかる西国街道の橋
 日本で最初の有料の橋

 江戸時代初期
 小畑川は暴れ川で、洪水により何度も橋が流されたため、橋の架け替えの費用のために、橋守を置き通行人から一文ずつ徴収したといわれる

 一文橋の欄干には、巨大な一文銭が飾られている

 <小畑川プロジェクト>
 2008年(皇紀2668)平成20年11月30日
 洛西ニュータウン創生推進委員会により、
 緑豊かな洛西ニュータウンのシンボル「小畑川」をキーワードに4学区・地域の住民がに集い、
交流を深める「心のふるさと」づくりの取組みが行われる


【京都検定 第2回3級】


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