船岡山(ふなおかやま)(Mount of Funaoka)

所在地:京都市北区紫野北船岡町   地図情報

標高:約112m
孤立丘陵(東西:約200m、南北:約100m)
面積:約2万5千坪

国の史跡:全域
風致地区
京都市の都市計画公園第1号

 船岡山(ふなおかやま)は、京都の北郊、紫野(船岡山から大徳寺の西南一帯)に横たわる一丘陵

 山頂からは、西陣や北山方面が一望できる景勝の地

 山頂付近東側には、織田信長を祀る建勲神社、山頂付近西側には、船岡山公園がある

 平安京遷都にあたり、四神相応が占われ、船岡山が北方の守護神「玄武」とされ、平安京の北の基点となる

【船岡山の歴史・経緯】

【船岡山の見所】

 <建勲神社
 祭神:織田信長、織田信忠
 山頂付近東側にある

 <船岡山公園>
 山頂付近西側には、小さなグランド、小さな音楽公会堂などもある

 <石標「史跡 船岡山」>
 南参道の中腹にある

 <石碑「応仁永正戦跡」>
 船岡山公園側の中腹にある

 <塹壕跡>
 中腹に、かつての山城の塹壕跡の300mほどの空堀が残っている

 <磐座(いわくら)>
 山頂に、かつての祭祀の場で、神さんが降臨する岩が残っている

 <三等三角点>
 山頂にある

【船岡山に関する文学】

 <「枕草子」231段>
 清少納言は、「丘は船岡、片岡、鞆岡」と讃えた

 <元輔家集>
 清原元輔は「船岡の若菜つみつつ君がため子の日の松の千代をおくらむ」と歌った

 <「古今和歌六帖(こきんわかろくじょう)」>
 「舟岡のともべに立てる白雲の立分かるるも哀とぞ思ふ」

 <「今昔物語」>
 邪気を祓うために、正月初子の日に野山に出て、小松や若菜を摘む「子の日の宴」という風習が行われていた
 円融天皇が譲位の後、船岡山の麓で、子の日の遊びをされたことが記されており、
 船岡の北面の小松が所々に群生する中に、遣水をやり、石を立てて砂を敷き、唐錦の平張りを立て、
簾をかけて遊宴されたとある

 <「徒然草」137段>
 「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と葬送地として描かれている

 <「興津弥五右衛門の遺書」>
 森鴎外の小説
 主人公の興津弥五右衛門は、戦国時代・江戸時代前期の武将 細川三斎忠興の重臣で、長崎に遣わされ、
舶来した香木の伽羅を手に入れるように命じられる
 が、同じく香木を調達に来ていた仙台藩 伊達政宗の家臣と争いとなり、相手を討ってしまう
 五右衛門は、忠興に許されるが、忠興の三周忌を待って、船岡山の麓で後を追い殉死した

【その他】

 <名前の由来>
 かつて山の東と南は断崖で、東麓には大池があり、山の東端が地中に突き出ていて、海に突き出した船先と見えたことから
「船岡山」と名付けられたといわれる
 この池は、淳和天皇の離宮紫野院(雲林院)に取り入れられ、後には、梶井宮御所の苑池にもなった

 <聖徳太子
 「日要集覧」によると、
 飛鳥時代に聖徳太子は、船岡山が後に皇城の地になると予言したといわれる

 <玄武
 平安京遷都にあたり、四神相応が占われ、船岡山が北方の守護神「玄武」とされ、平安京の北の基点となる
 「大地の生気がほとばしり出る地 玄武の小山」とされ、船岡山の真南に大極殿が置かれ、
そこから南に向かって朱雀大路が造られた

 <御霊会>
 「日本紀略」によると、
 994年(皇紀1654)正暦5年
 疫病が流行し、疫病退散のための御霊会が行われ、木工寮(もくよう)修理職(しゆりしき)の作った神輿二基に
素戔嗚尊の神霊をこめて、船岡山に安置された
 都の人々は船岡山に登り、傘に風流を施して、囃しに併せて踊ったといわれる
 その後、人々の人形(ひとがた)を乗せた神輿が、難波江の海に流されたといわれる
 これが、紫野御霊会、今宮祭、出雲路御霊堂などの由来とされる

 <子の日の宴>
 古代中国においては、正月初子の日に岡にのぼって四方を望むと、陰陽の静気を得、憂いを除くといわれ、
 また、年の初めに松の実をたペると邪気を祓うとされていた
 この風習が日本にも伝わり、平安時代には、正月初子の日に野山に出て、小松や若菜を摘む宴遊が行われていた

 <七野(洛北七野)>
 平安時代
 景勝の地として王朝人の「禁野(しめの)」として遊宴・遊猟なども行われた
 「七野」の一つとされ、菜の花、山菜の名所でもあった

 <船岡山城>
 船岡山は、軍事的要衝として、度々戦場ともなった
 応仁の乱では、西軍の山名宗全方の軍事拠点の一つとなり、城が築かれた

 <天正寺>
 豊臣秀吉は、2体の織田信長の木像を造らせ、一体を焼きその灰を、新しく建立した大徳寺総見院に埋め菩提寺とした
 船岡山と大徳寺をつなぐ長廊を造り、船岡山東麓に「天正寺」と称するもう一つの菩提寺を建立し、
そこにもう一体の信長木像を安置する予定だった
 1584年(皇紀2244)天正12年末
 正親町天皇から、元号寺院として「天正寺」の寺号を得て、大徳寺の古渓禅師を開山とする予定であった
 だが、石田三成により、計画が頓挫し、古渓禅師は秀吉により博多に配流された
 もう一体の信長木像は、現在、総見院に安置されている

 <原生林>
 船岡山の樹々は種類が多く、帰化植物がほとんど入り込んでいない貴重な森林となっている

 <堀川
 堀川は、船岡山東麓を源流にして、ほぼ京都の中央部を南北に貫流する川

【船岡山へのアクセス】

 市バス 船岡山 または 建勲神社前 徒歩約5分


【京都検定 第1回3級】

4.平安京の地相は「北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に百虎」といわれているが、現在の北の玄武はどこか?

【京都検定 第4回3級】

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