亀岡市(かめおかし)(Kameoka-shi)



市役所所在地:亀岡市安町野々神8番地   地図情報

創立:1955年(皇紀2615)昭和30年1月1日

面積:224.90km2
総人口:約94,800人(2007年8月)
団体コード:26206-4

市の木:桜(サクラ)
市の花:躑躅(ツツジ)

旧国:丹波国桑田郡
旧称:口丹波
 亀岡市(かめおかし)は、京都市の西隣、大阪府の北にあり、京都府の中西部に位置する都市

 丹波国の最南端にあり、山城国との国境になり、戦国時代など歴史的にも重要な都市であった
 現在は、京都市・大阪の衛星都市となっている

【亀岡市の歴史・経緯】

 <約200〜500万年前>
 広範囲で土地を沈降させた地盤運動により、亀岡盆地が形成され、
 京都府中部から流れ込む水と、現在よりはるかに狭かった保津峡により、
 亀岡盆地全体が、巨大なダム湖の状態であったといわれる

 <縄文時代・弥生時代・古墳時代
 約1万年前の縄文時代
 亀岡盆地に人々が住み始め、西日本の幅広い地域との交流があったといわれる
 鹿谷遺跡の「槍の先の黒曜石」は、島根県の隠岐島のものといわれ
 千代川遺跡の「槍の先のサヌカイト石」は、奈良県の二上山産であるといわれる

 弥生時代後期
 北金岐遺跡の「土器」は、大阪河内方面で作られたものといわれる

 紀元前300年の弥生時代
 稲作を中心とした定住生活が発達し、
 稗田野町太田には、集落の周りを濠で囲んで外敵の侵入を防いだ集落が形成されたり、
 大井町北金岐には、米を貯蔵する高床倉庫や、竪穴住居の集落があり
 東本梅町松熊では、銅剣形の石剣を使って豊作に対する敵を防ぐ呪術が施されていた

 <奈良時代
 741年(皇紀1401)天平13年
 奈良・東大寺が建立された際、全国でも珍しく国分寺・国分尼寺が並んで建立され、
整然と区画整理された広大な農地が造営される

 現在の嵯峨野一帯を治めていた朝鮮からの渡来人である秦氏により、保津峡が開拓され、
桑の田が造営され養蚕を行ったことから、亀岡一帯の地域を「桑田郡」と称されるようになったといわれる
 亀岡には、秦氏に由来する松尾大社系の神社が多く存在する

 <平安時代
 平安京の造営や修造にあたり、多くの瓦や器が製造され京都に運ばれる
 当時の亀岡で製造された器が、福岡・大宰府や宮崎県でも見つかっている

 山陰方面と京都を結ぶ陸路の要衝として、多くの文化が交流していたといわれ、
秦氏系・出雲系・朝廷系などの多くの神社が混在して建立される

 <室町時代
 1333年(皇紀1993)元弘3年/正慶2年
 足利尊氏が、篠村八幡宮に戦勝祈願を行い、鏑矢を献上して、老ノ坂峠を越え、鎌倉幕府の六波羅探題へ攻め入る
 以後、足利尊氏が、出雲神社(出雲大神宮)の本殿などを修造
 足利義持が、篠村八幡宮に造営料を寄進
 足利義政日野富子が、篠村八幡宮へ神馬を寄進するなど、室町幕府による援助が行われる

 <安土桃山時代
 1575年(皇紀2235)天正3年から
 織田信長により丹波国の平定を命じられた明智光秀は、近江坂本城を拠点として丹波国の平定を始める

 1578年(皇紀2238)天正6年から
 明智光秀が、亀山城の築城に着手する
 1579年(皇紀2239)天正7年
 波多野秀治の居城である八上城を落城させる

 1582年(皇紀2242)天正10年5月
 明智光秀は、備中高松城を攻略中だった羽柴秀吉(豊臣秀吉)の援軍を命ぜられ、亀山城に入城

 同年6月(本能寺の変)
 備中高松に向かうと見せかけて亀山城を発した1万3千の明智軍が、桂川を渡ったとき、
明智光秀により「敵は本能寺にあり」との命が下され、本能寺に攻め込み、織田信長を討つ

 亀山城には、明智光秀の重臣 斎藤利三の4歳の娘「お福」が暮らしており、
後に、乳母として第三代将軍 徳川家光(竹千代)を育てた「春日局」となる

 <江戸時代
 丹波国桑田郡南部に、亀山藩領や旗本領が設置される

 1606年(皇紀2266)慶長11年
 角倉了以により、江戸幕府の許可を得て保津峡の開削が行われ、
丹羽の良質の穀物や木材などの物資が、保津川を船で京都に運ばれる

 同年
 岡部長盛が入城し、丹波亀山藩主となる

 1610年(皇紀2270)慶長15年
 徳川家康により、城普請の天才といわれた藤堂高虎が、新たな亀山城の整備を命じられ、
藤堂高虎は、自らの居城だった五層の今治城を移築して、亀山城を完成させる

 以後、要地とされ、頻繁に譜代大名による藩主の交替が行われる

 1748年(皇紀2408)寛延元年
 松平信岑(まつだいらのぶみね)が丹波亀山藩主になり、以降、松平家の藩主が8代続く

 <明治維新以降>
 1869年(皇紀2529)明治2年
 丹波亀山は、伊勢の亀山との混同をさけるため「亀岡」と改称する

 1871年(皇紀2531)明治4年
 亀岡県から京都府の管轄となる

 1877年(皇紀2537)明治10年
 南北桑田郡・北桑田郡に分轄され、
 「廃城令」にもとづき、丹波亀山城が解体される

 1899年(皇紀2559)明治32年
 田中源太郎らによる京都鉄道が、京都〜嵯峨野間から園部まで延伸して開通する

 1955年(皇紀2615)昭和30年1月1日
 南桑田郡の亀岡町と東別院・西別院・曽我部・吉川・稗田野・本梅・畑野・宮前・大井・千代川・
馬路・河原林・旭・千歳・保津の15ヶ村が合併して「亀岡市」となる

 1956年(皇紀2616)昭和31年 東本梅村を編入
 1958年(皇紀2618)昭和33年 西別院町の一部と東本梅町の一部を分市
 1959年(皇紀2619)昭和34年 篠村を編入



【亀岡市の名所】

 <市街地>
 JR山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅
 保津川下り
 亀山城跡
 大本 天恩郷
 南郷公園・南郷池
 光忠寺
 形原神社
 秋葉神社
 楽々荘(田中源太郎旧邸)
 西山池
 平和台公園

 <南部>
 国道9号線 矢田口・頼政塚
 出雲大社京都分院
 矢田天満宮
 鍬山神社
 明智戻り岩
 石田梅岩生誕地

 <西部>
 京都縦貫自動車道 亀岡IC
 走田神社
 穴太寺   西国三十三所観音霊場第21番札所
 円山応挙生誕地
 小幡神社  延喜式式内社
 金剛寺   応挙寺
 稗田野神社 延喜式式内社
 桜天満宮
 神蔵寺   最澄の開山 自ら彫られた本尊木造薬師如来坐像
 湯の花温泉
 谷性寺   光秀寺、桔梗寺
 ききょうの里
 篠葉神社
 法常寺   後水尾天皇ゆかりの寺院

 <北部>
 西岸寺 丸岡城跡(余部城跡)
 善随寺 織田信長ゆかりの寺院
 龍潭寺 子供のかん虫にご利益
 JR山陰本線(嵯峨野線)並河駅
 丸尾山 天然砥石の産地

 <川東>
 山王神社
 養源寺
 神応寺 丹波七福神 毘沙門天
 養仙寺 布袋寺 丹波七福神 布袋尊
 国分寺跡
 愛宕神社 延喜式式内社 元愛宕、愛宕の本宮
 七谷川
 車塚古墳
 蔵宝寺 丹波七福神 大黒天
 金光寺 丹波七福神 弁財天
 耕雲寺 丹波七福神 寿老人
 東光寺 丹波七福神 福禄寿
 出雲大神宮 延喜式式内社 元出雲、千年宮
 極楽寺   丹波七福神 毘沙門天
 平の沢池  オニバス自生地、蓮(ハス)群生地
 水鳥のみち
 京都府立保津峡自然公園

 <東部>
 トロッコ亀岡駅(JR山陰本線(嵯峨野線)馬堀駅)
 篠村八幡宮   足利尊氏ゆかりの地
 京都縦貫自動車道 篠IC
 老ノ坂峠

【亀岡市のゆかりの人物】

 <丹波康頼>
 982年(皇紀1642)天元5年
 中国の渡来人の末裔といわれる丹波康頼が、日本で最初の医術書「医心方」30巻を著し、朝廷に献上する
 以後、丹波家が、日本の漢方医学の発達に寄与し、
丹波康頼から約30代後の丹波家の家系である多紀家が、代々幕府の代表官医となっている

 <石田梅岩
 石田心学の祖

 <山脇東洋
 日本で最初に人体解剖を行った

 <明智光秀
 亀山城の築城・城主

 <円山応挙
 円山派の祖である画匠

 <中川喜雲
 江戸時代初期の、京都で最も古い名所案内記京童」の著者

 <中川小十郎
 明治時代から昭和時代初期の貴族院議員、文部省官僚、財界人
 京都法政学校(現在の立命館大学)の創立者

【イベント】

 <亀岡平和祭
 8月7日
 亀岡市の市民のイベント
 平和祈念式典や保津川花火大会が行われる

【その他】

 <丹波国亀山藩京屋敷跡
 丹波国亀山藩(現在の亀岡市)藩主松平信岑の京屋敷があったところ
 京都市下京区松原通室町西入ルの亀山稲荷神社内にある

 <亀岡牛
 亀岡市内で飼育されているブランド牛


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